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カメラの歴史【紀元前~19世紀前半編】

先日、カメラを撮っているときにふと「カメラっていつから存在するんだろうか。」ということが頭をよぎりました。

 

色々と調べたので、今回はいつもと趣向を変えてカメラの歴史について書いていきたいと思います。

 

 

カメラの起源

カメラの起源は非常に古く紀元前にまで遡るといわれています。

 

「小さい穴を通った光が逆さの像を映す現象」は紀元前の古代ギリシャや古代中国で既に発見されていました。

 

その後10世紀頃、イブン・アル=ハイサムという人物が現れます。

 

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イブン・アル=ハイサム(965〜1040年)


彼はイラクのバスラで生まれ、エジプトのカイロにて研究を行い、レンズや鏡を使った屈折や反射の実験などを行い、「光学の父」とまで呼ばれた偉大な科学者です。

 

 彼が研究の一環で作り上げたのが「カメラ・オブスキュラ」と言われるものです。

この「カメラ・オブスキュラ」こそがカメラの”原点”であると言われています。

 

カメラの原点”カメラオブスキュラ”

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「カメラ・オブスキュラ」という言葉はラテン語で「暗い部屋」を意味しています。

「カメラ・オブスキュラ」は暗い部屋に小さな穴を開け、そこから入り込む部屋の外の風景を見るという装置でした。

 

原理としてはピンホールカメラと同じになります。

 被写体に当たった光はあらゆる方向に反射されますが、小さな穴があるとその内側にはその穴を通れた方向の光しか入ることができません。

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被写体から反射され、穴を通過した光は反対側の壁(ピンホールカメラでいうフィルム)の届く場所がそれぞれ対応して決まります。

 

例えば上の方から来た光は穴を通過し、壁の下の方にたどり着きます。そして下から来た光は上へ、左から来た光は右へ、右から来た光は左へ、それぞれたどり着き映し出されることになります。

 

なので映し出される像は上下左右が反対になったものになります。

 

これが「カメラ・オブスキュラ」(及びピンホールカメラ)の原理になります。

 

カメラオブスキュラの進化

15世紀ごろ、フランスの画家の間で、この「カメラ・オブスキュラ」を使った「写生」が行われ始めます。

 

当時の装置は部屋を利用したものではなく、持ち運びできるような小さな木箱を使ったものでした。

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 16世紀に入ると「カメラ・オブスキュラ」は更なる進化を遂げます。

今までは光を取り込む部分は小さな穴(ピンホール)でした。ピンホールでの描写は実際の風景に比べると、少し不鮮明な部分があり、暗い写りでした。

 

この不鮮明なピンホールの代わりに”レンズ”を用いる方法が登場します。これにより、「カメラ・オブスキュラ」はより鮮明で明るい描写が可能となりました。

 

またこの時代には”絞り”を付けることでより明瞭な描写になる事も発見されています。

 

ただこの時代の「カメラ・オブスキュラ」はあくまで、”風景などを映し出す装置”であり、現在のカメラのように写真として残すことはできませんでした。

 

 写真の始まり

1824年、フランスの科学者ジョセフ・ニセフォール・ニエプスが世界ではじめて映像を定着させることに成功します。

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ジョセフ・ニセフォール・ニエプス(1765年‐1833年)

彼はアスファルトの一種であるユデアの土瀝青(どれきせい)という物質の「光に当たると固まって水に溶けなくなる」という性質を利用しました。

 

土瀝青を金属板に塗り、これを「カメラ・オブスキュラ」内部に装着し、長時間露光させ、その後、金属板を洗い流すと写真が浮き出てくるという仕組みでした。

ヘリオグラフィ」という写真技法の誕生です。

 

ちなみにこの写真の定着にかかる時間は

なんと8時間ほどだったそうです。

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ニエプスによって1826年~1827年頃に撮影された「ル・グラの窓からの眺め」

銀板写真の誕生


ニエプスの「ヘリオグラフィ」は完成までに8時間以上かかるため、決して実用化できるものではありませんでした。

 

ニエプスは1839年にフランス人の画家、写真家であるルイ・ジャック・マンデ・ダゲールとの共同研究により、 銀板写真(ダゲレオタイプ)を開発します。

 

銀板写真(ダゲレオタイプ)とは磨いた銀板や銀メッキされた銅板にヨウ化銀を塗布することで感光性をもたせ、水銀蒸気で現像する撮影方法です。

 ※ 感光性・・・物質が光の照射によって化学変化を起こす性質。

 

当時の銀板写真は銀板そのものが写真となるため、焼き回しはできませんでした。

 

露光時間は30分程のまで短縮され、ようやく実用化できるようなものになりました。1839年にはフランスのジルー社から「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」が発売されました。

これは世界で初めて一般向けに大量生産・販売されたカメラとなりました。

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カロタイプの登場

1841年、タゲレオタイプの開発を知ったイギリス人のウィリアム・フォックス・タルボットは世界初のネガ・ポジ法である「カロタイプ」を発表します。

 

「カロタイプ」ではまず硝酸銀を塗って感光性を与えた紙をネガとして、カメラの中に入れて撮影します。

 

その後、感光材料を塗った印画紙に写すことで写真が完成します。

 

この発明により、1枚のネガを使って写真の焼き回しができるようになりました。

さらに露光時間も2~3分程度に短縮されました。

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

今回は紀元前から19世紀前半までのカメラの歴史についてまとめてみました。

次回はフィルムの誕生から現在のカメラに至るまで一気に駆け上がっていきたいと思います。

コチラ↓

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